日本財団 図書館


 

何の故障も見つからなかった。
四歳になったころ、千葉中央保育所の巡回診療に出向いたところ、「耳が悪い」と診断され、ろうであると言い渡された。目の前が真っ暗になった。
役所より国府台のろう学校を紹介され、昭和三十四年三月、入学テストがすんだ後、「三歳以上は対象にあらず」と入学を断わられ、あまりの悲しさに大粒の涙を流してしまった。学校を後にして家路についた、電車の中でも歩いていても涙はとめどなく流れた。
紹介された名刺をもって、江東ろう学校を訪ね、福山校長先生にお会いした。「心配はいりませんよ」との、あたたかいお言葉に光明を与えられた。そして、同校へ入学することができた。それとともに、博英の保育園通いも始まった。江東ろう学校幼稚部の一年間は、やっと歩き始めの状態で、背負ったままの通学。現在の総武線と違って大変な混雑だった。
一年も終わろうとしているのに、体は小さくまだ発語、読話の効果がない。休み時間は、「直ちゃん、直ちゃん」と女の子に、おもちゃのようにされて、泣きべそをかいている。ある日、先生に、「何の反応もないのですが、どんなでしょうか」と尋ねたところ、「直幸君は、先生の話をじっと目をそらさず見つめているので、心配ない」と、おっしゃってくださった。私はこの言葉に勇気づけられた。
休み時間も、誰と遊ぶこともなく座っているだけ。家庭の事情で生活は苦しく、二時間ぐらいの睡眠時問のときもあり、内職で支えてきた。直幸の復習などに時問をかけることはできなかった。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION